ビートたけし(北野武)さんと妻で元タレントの幹子さんが39年の結婚生活に終止符を打ちました。
あまり知られていないビートたけしさんの元妻「北野幹子」さんの経歴やプロフィールをご紹介します。
それから、今回のたけしさんとの離婚について、馴れ初めや離婚の理由も気になったので調査してみました。
【画像】北野幹子の経歴・プロフィール
ビートたけし夫人・北野幹子 pic.twitter.com/GuUin85cdZ
— るりからビーン (@mitakesang) August 11, 2016
名前:北野幹子(きたのみきこ)
旧姓:松田
生年月日:1951年?月?日
血液型:???
出身:大阪府
実家:お寺
学歴:武庫川女子大学短期大学部卒業
職業:元漫才師。現在はビートたけしの資産管理を行う会社の社長
家族:元夫・ビートたけし、長男、長女・北野井子
北野幹子さんの経歴

大学に在学中にピンアップトリオという音楽ショウのピンアップ敦子に弟子入りし芸能界入りします。
その後1971年、北野幹子さんは「司ミキ」名義で「司ミワ」とコンビを組み『ミキ&ヤワ』という女子大生お笑いコンビとして漫才師デビュー。
その後すぐに司ミキから渚ミキへと改名。
一時期、前田五郎の門下にはいるものの、その後は上京し、内海桂子・内海好江の門下に入り内海ミキと改名します。そこでまた同門の内海ミチと女性コンビを組むものの、こちらも2年と短期間で解散。
1978年に当時アシスタントを務めていた、『大正テレビ寄席』にて当時のツービートと出会いビートたけしと接点が出来ました。
馴れ初めとしては、この出会いがきっかけになりますね。
その後恋仲となり同棲を開始し1980年に結婚。2019年に離婚するまで39年間連れ添うことに。
当時まだあまり売れていなかったツービート。ビートたけしを支えるために、スナックでバイトするなど献身的にたけしさんを支えます。
結婚の翌年、1981年には長男、翌年1982年には長女の井子さんを出産。
その翌年、1983年に正式に入籍を果たしています。
北野幹子さんはたけしさんとの結婚後に芸能界から引退。
しかし、1981年の10月10日放送のバラエティ番組『俺たちひょうきん族』には特別に出演しています。
そして、その中のコーナー「ひょうきん夫婦漫才」という企画の中で、なんと夫婦漫才を披露しています。その時の映像があります。
【映像】ビートたけしと北野幹子の夫婦漫才
今となっては大変貴重なビートたけしさんと妻の幹子さんの夫婦漫才の貴重映像です。
なんとなく初々しい感じですね!
まだ結婚して1年ぐらいの次期ですからそれも無理はないですね。
お笑い好きの2人らしい漫才で好感が持てますね!
北野幹子とたけしの離婚の理由は?

少し前から離婚のための話し合いは続いていましたが、この度北野武さんと北野幹子さんが正式に離婚したことが発表されました。
結婚期間中には、ビートたけしさんに不倫や隠し子騒動が持ち上がったり妻の幹子さんにはかなりの精神的な負担があったと言います。
(実は、幹子さん自身も浮気不倫の経験があります。お相手は笑福亭枝鶴さんという方で、ひょうきん族でビートたけしとの交友の深い山田邦子さんの口から語られているので間違いないでしょう。)
そして、1986年にはビートたけしさんによるフライデー襲撃時間があり、この時も離婚の危機があったと言います。
それでも乗り越えて夫婦としての絆を深めていき、1994年には今度はビートたけしさんのバイク転倒事故で重傷を負った時には、妻の幹子さんは付きっ切りで看病。
集中治療室の隣部屋に泊まり込むという献身ぶりも見せていました。
しかし、ここ数年はずっと別居状態だったようで、たまに食事をするぐらいで会う回数も減り、実体上は離婚状態だったとも言われています。
どこかのタイミングで正式に離婚届けを出そうという話があり、このタイミングで離婚に届けの提出に踏み切ったものと思われます。